幸福な人生
この世の中には「幸福な人生」を歩む人と、「不幸な人生」を歩む人がいます。
この違いはどこにあるかといいますと、「幸福な人生」を歩む人は自分自身に深い関心をもち、自分自身を正しく理解するよう努めています。
これに対して、「不幸な人生」を歩んでいる人は自分自身に無関心な生き方をしています。そのために、自分自身に対して間違った考え方をしてしまっています。
フランスの有名な作家スタンダールもこう述べています。
「人生のほとんどすべての不幸は、自分に関する事柄について誤った考え方をするところから生じる」
これを言い換えれば、「人生のすべての幸福は、自分に関する事柄について正しい考え方をするところから生じる」ということになります。
たとえば、「幸福な人生」を歩んでいる人は、人間(自分)はもともと「夢を実現するために生まれ、それができるようにできあがっている」ということをよく知っていて、その特権を享受しています。
反対に、「不幸な人生」を歩んでいる人は、そういうことを知らずに夢をもたない行き当たりばったりのその日暮らしの人生を、ただ漫然と送っています。
船にたとえれば、めざす「港」をもつ船と、広い海をただ漂う船の違いです。「めざす港をもたない船には、風も手伝うことはできない」と十九世紀フランスの思想家モンテーニュも言っているように、風を味方にできない船は、やがて大海のもくずと消えてしまいます。
「世に生を得るは事を為すにあり」と、坂本龍馬の名言にもあるように、わたしたちは事【立派な仕事、使命】を為すために生まれ、それができるように初めからつくられているからです。
それに、フランスの哲学者アラン(1868~1951)が「人間は意欲して創造することによってのみ幸福である」と、『幸福論』の中で述べているように、幸福は意欲をもって創造的に生きる人のところにしか訪れてはくれないからです。
人間にしかない持ち味
「人間」として生まれてきた幸運を生かすには、まず人間にだけ 授かっている固有の持ち味(特性)を知ること、そしてそれを発揮 して、世の中のために役立つことをすることです。
わたしたち人間には、人間にしかない持ち味というものがありま す。人間に進化する過程で獲得した新しい(特有の)能力や性質が それです。それを生かすことが人間らしく生きることの根本である ということです。したがって、何を得たかを知ることが何よりも肝心なわけです。
まず第一は、「我思う故に我在り」(デカルト)「人間は考える 葦である」(パスカル)という先哲の名言にもあるように、「思い 考える力(思考力)」です。
現在地球上で生きている生物は、みな特別な能力を少なくとも一つは持っていて、それを生かすことによって生活しています。人間でいえば、「考える」という能力がそれにあたるというわけです。
ですから、ここで大切なことは「考える」とはどういうことか、をよく知ることです。
考えること(思考)の最大の特徴は、考えたとおりのことが実現する方向に「力」となって働くところにあります。ですから、常に前向きに積極的(創造的)な考え方をするように心がけることが大切です。
次は「向上心」です。人間には本来自分を磨き、高め、みんなに信頼され、尊敬されるようなりっぱな人間になりたいという心があり、それを積極的に生かすことが充実した人生につながるのです。
「バカ」といわれると腹が立つのがその証です。
この向上心が、なぜ人間に与えられているかといえば、人間は進化にむかって前進していく必然性があるからです。
というのも、この宇宙には、万物を進化の方向に運んでいくという秩序が成り立っているのです。そして、現在わたしたちは、この宇宙(自然界)の秩序にしたがって、人間という最高レベルの生物に たっしているわけです。したがって、これから先もこの秩序を守りながら、進化の流れに順応した生き方が、自己の向上につながる賢い生き方といえます。つまり、人間の場合の進化は、あくまでも人間自身が「主体性」をもってつくりだしていくのが特徴で、いわゆる生物の進化とは本質的に違うわけです。
「働く」ということ
人生でとくに大事なことは「働くこと」、ことの大小を問わず、仕事を
一つひとつ達成していくことです。
人間は働かないと生きていくことができない生き物です。お金に不自由しない人でも、働かないと
人間がだんだん退化してダメになってしまいます。仕事は人間の生きがいにつながっているからです。
『考える人』などの作品で有名なフランスの彫刻家ロダン(1840~1917)もこういっています。
「仕事は生活の方便ではない。生活の目的である。働くということは、人生の価値であり、人生の歓喜であり、人生の幸福なのである」
つまり働くことは、個人にとっては、人生の柱、社会にとっては社会存続の柱となっているのです。働くことが、人類最大の行事で、生きることそのものである、といわれる理由もそこにあります。
この生きることそのものであることを「自己実現」といいます。
自分の夢を実現する、自分をすばらしい人間に磨きあげる(向上させる)、目標を次々に達成していくというように、人間は本来「自己実現」を信条として生きるように設計されてこの世に生を得るのです。
明治時代の大実業家もこう述べています。
「人がこの世に生まれてきた以上は、自分のためだけではなく、必ず何か世のためになることをやる義務があると、わたしは信じている。つまり人は生まれるとともに天の使命を受けているのである」
人間らしい生き方の基本は、自分からすすんで(考えて)、為すべきテーマ(創造的目標)や方針を決め、その達成(実現)に向けて生き生きと取り組むスタイルということになります。
子どもの課題
子どもたちは親の姿、生き方を見て育ちます。子どもの課題の多くは家庭の問題です。あいさつ、食事、服装、髪型、ことば遣い、生活習慣、物の見方・考え方、趣味、学びや学校についての考え方、
読書傾向など、すべてにわたって大きな影響力があります。
特に幼児期のしつけは大切です。子育てでよく使われる話ですが、徳川家康が幼名・竹千代時代、三河から駿府の今川義元のもとに人質として預けられたときのこと。家臣が義元に竹千代の養育方針を尋ねたところ、「夏の暑い最中には涼しく、冬の寒い最中には暖かく、何不自由なく育てるように」と命じたと言われています。戦国武将として家臣を統率していくために必要な、知力、決断力、持久力、武力、先見性などの資質が育たないように養育しようとしたわけです。
この事例を反面教師として考えますと、今の時代の子育てにも通じています。子どもたちを取り巻く社会環境の劣化、少子化問題、核家族化などさまざまな状況の中で、過保護、無関心、虐待など、考え方によっては戦国時代より子育てがむずかしい現在です。
家庭の役割として、世の中の規範を教える、示すことが大切です。
何不自由なく、わがままいっぱいに育てることが大切に育てることではありません。厳しく、あたたかく育てること、そして「だめなものはだめ」と育てることが大切に育てることなのです。
両親で家庭の教育について同じ歩調でよく話し合っておくことが大切です。その上で、それぞれの役割を果たしてほしいと思います。厳しく諌めることも必要ですが、子どもたちと一緒にお風呂に入ったり、一日の出来事を聞いたり、休みの日には出かけたり、いろんな姿をみせてほしいです。
心の負担
ある学校でのお話です。・・・
下校時になると決まって校長室の窓をたたく子どもがいました。窓を開けてしばらくお話し相手をしてあげると「諦めたような表情で」校門の方に向かっていきます。最初の数回は、学校で何かつまらないことでもあったのかな、と心配した校長先生でした。
担任教師と話をしてみました。「もしかして、学級内でいじめでもおきていては?」と自問しながら学級生活での様子をしっかり見詰めてくれたようです。それらしき光景もなく、友人達の情報からも学級での生活が原因ではないとの結論に達したのでしょう。担任が家庭訪問のことを切り出しました。校長先生に言われて「気になっていた」ことにハッとしたと言うのです。
期待する余りに過剰な要求やハイレベルでの成果を求めているようなお母さんだと言うのです。幼い頃からバレエを習っていて、将来はマドンナ役をやらせるのがお母さんの夢だとも担任には分かっていました。
校長室の窓を叩いていた曜日が判明しました。その日がバレエのお稽古日だったのです。担任教師と分担しました。担任教師は、学級生活の中で出来るだけ多くの会話をすること、校長先生は窓を叩
かない日でも下校する姿に「こちらから」声を掛けてお話しをしてみること。本人からの本音の心情を聞き取ることに努めました。
午後から雨になった日でした。傘を届けてくれるお母さんやお家の人を待っている子ども達の姿が見えました。その子もいました。いつまで経っても帰ろうとしない様子だったので校長先生から声を掛けました。「お母さん遅いね。道路が混んでいるのかね。」と。窓に近づいてきて大粒の涙をこぼし出しました。お母さんを待っているのではないと言うのです。雨はどんどん酷くなりました。
校長室に入るように指示して担任も呼びました。担任の心配は的中しました。バレエのお稽古が負担だというのです。発表会の配役が発表されるのが怖くて仕方がないと大声で泣き出しました。
大雨の中、車で自宅まで送り届けながら「家庭訪問」するように担任に指示しました。翌日の報告を受けました。「学校には無関係」だから余計な指導は迷惑だとのこと。
お母さんから「おかえりなさい」を優しく言ってもらうのが夢だと言う。お勉強もしっかり取り組む頑張りやさん。お母さんのことも大好きだと言う。「お母さんの喜ぶ顔」のために、自らを窮地に追い込んででも「頑張る」と言い切る子どもがいるのです。校長先生の心は晴れませんでした。
・・・
あなたの子育てはいかがでしょうか。
見つめなおしてみてください。
寺子屋
江戸時代の人々は寺子屋で読み・書き(時にそろばん)を学んでいました。寺子屋では子どもたちはどのように学んでいたのでしょうか。
朝、子どもは寺子屋に行くと、まず自分の机を並べます。師匠が自宅で寺子屋を開いていることが多いので、学習が終わると子どもたちは机を片付けて、師匠が生活できるようにしてから帰るのです。寺子屋では学校で行われるような「授業」はありません。子どもは師匠がその子に合わせて選び、書いてくれたお手本を何度も練習して覚えます。当時は紙が大変貴重品でしたから、子どもは筆で文字を書いては紙を乾かし、またその上から文字を書くということをしていて、練習帳(これを「手習草紙」【てならいそうし】といいます)は真っ黒になっていました。
ちなみに勉強をしたくない子は、持っている練習帳を全てわざと水で濡らして「もう勉強できません」などと言う子もいたそうです。また「いきは牛 帰りは馬の 手習子」という川柳も残っています。「手習子」というのは寺子屋に通う子どものことですが、寺子屋に行くのはいやなので牛のようにゆっくりと歩いていき、終わると大喜びで走って帰ってくるという子どもの様子が目に浮かぶようです。そんな子どもたちを相手にしていた寺子屋師匠の日記というものも残っているのですが、そこからはやる気のない子どもに忍耐強く対応をする師匠の姿が浮かび上がってきます。
この子どもと大人のやりとりは、今も昔も変わりませんね。
「寺子屋」は当時「手習所」などと呼ばれていたそうですが、この「手習」というのは文字の読み書きを学ぶことを言います。しかし寺子屋で学んだのは文字の読み書きにとどまらず、お手本や教科書の内容から、子どもたちは生活に必要な知識や家業に必要な知識、そして道徳的な心構えなども学んでいたのです。
江戸時代の日本の識字率(文字を読むことができる人の割合)は、世界でも飛びぬけて高かったことが知られています。例えば日本がまだ江戸時代であった19世紀初頭、産業革命真っ只中のイギリス、ロンドンの識字率は20%ほど。それに対して日本は江戸の識字率は70~80%ほどはあったと言われていますので、いかに日本が優れた教育文化を持っていたかがよくわかります。
今の日本では学校に通うことや文字が読めることは当たり前になっていて、「学ぶ」という意味が見えづらくなっているように思います。そんな時、江戸時代の「学びの文化」というものを見直してみることは、大変有意義なことだと思います。
美しい日本語
電車の中や街で擦れ違う女子高校生や中学生の会話を聞いていると、理解不能な隠語、下品な言葉が飛び交っていて、美しい日本語はどこにいったんだろうかと思うことがあります。
日本語の乱れが指摘されるようになって、随分経ちますが、一向に改めようという動きが起きないのが不思議です。
敬語や謙譲語の使い方を知らない若い人が大部分で、やはり大人の責任に帰すのだろうかと半ば諦めているのが、世の大人でしょうか。
できるだけ美しい日本語を使ってほしいです。
そして、グローバルな意識と地球サイズの感性を持った子どもになって欲しいのです。
風の音に命を感じたり、宇宙の彼方にある星の輝きを想像したり・・・。
今でも 歌い継がれている童謡や、なにかメッセージを伝えたいという思いで書かれた歌はみんなすばらしいものです。
幼い時からそんな歌を聴いたり歌ったりすることをくりかえす事で知らず知らずのうちに、子どもたちは美しく正しい日本語を身につけていくと思います。
ある絵本作家の方がおっしゃるには、絵本に添える言葉は飾りがなく、シンプルでしかも美しくということでした。
子どもたちのイマジネーション、想像力の翼を折らないために、それは欠かせないということです。
子どもたちの純粋で繊細な心がそのまま育ちますように、という願いからでしょう。
道徳心
子どもの心を育むためには、愛情だけではなく、道徳心も必要なのではないでしょうか。道徳心とは、みんなのために・後から来る人のために、良いことか悪いことかを分別する心です。その心は、先人の思いと一緒に示すと、子どもの心に届くように感じます。
子どもの頃、祖母がお墓参りのとき話してくれました。「このお墓の中に、おばあちゃんの子どもが3人いるんだよ。みんなのことを守ってくれているから、お墓を大切にしてね」。祖母は子どものことを話すとき、いつも涙を流しました。私は、子ども心にも、お墓を大切にしなければと、家族としての役割を思いました。この役割感こそが、自分のアイデンティティーを育みます。
道徳心・アイデンティティー・手を合わす心根が、いのちを大切に する心の土台には必要です。その上に、いのちに限りがあるから一生懸命生きる、一人で生きられないから支え合うことなどを示し、普通の生活の中でその小さな実践をするとき、いのちの根っこが芽吹くのではないでしょうか。
親や大人が自分の生きる姿を通じて、大切 に願うことを、普通の生活の中で子どもに示すことが大切です。子どもは親の鏡です。まず、私たち親、大人が変わりましょう。子どもたちのために・・・。
生かされている
私たち大人は、死んだら生き返らないということを、無感情な一般常識として身につけてしまっているように感じます。子供のとき、死んだら自分はどうなるのだろうかと思い、怖くて、怖くて、最後は忘れよう忘れようとしたことはないですか。子どもが、「死ぬのが怖い」とあなたをみつめるとき、何を示しますか。
死は必ずあることと共に、生かされているとの心を大切にしてほしいと思います。いのちをみつめるとき、生かされていると感じることがたくさんあります。
人間の寿命は、誰が決めるのでしょうか・・・。罪のない子どもが小児がんを発病し、天国にいきます。がんが治らなければ人は死にます。がんが治っても人は死にます。がんにならなくても人は死にます。人は必ず死ぬ、でも今、生きている。生かされているとしか思えません。
生かされているとの実感が、普通に暮らすことへの感謝の心、自分は何のために生きているのかとの自律の心を育んでくれるのではないでしょうか。
生かされていると感じる種を、子どもの心に蒔いてください。それは手を合わすことの意味を示し、普通の生活の中で実践することです。食事のときに「いただきます・ごちそうさま」をします。その意味は、肉・魚・野菜のいのちをいただき自分のいのちをつなぎます。その食事と作ってくれた人がいます。いただくいのちと人に感謝し、手を合わせるのです。
人間がして動物がしない行為が二つあるそうです。祈ることと自殺することです。手を合わすことは、人間の自然な営みです。初詣、お墓参り、食事・・・。普通の生活の中で、手を合わす意味を子どもに示し教えてください。
死んだらどうなる?
「人は死んだらどうなるでしょうか?
(1)生き返る(2)生き返らない(3)わからない、一つ選んでください」
小学1年生に質問すると、答えはそれぞれ三分の一ずつぐらいになるそうです。死んだら、生き返る・わからないと答える子どもがたくさんいることを、あなたはどのように感じますか?
「とんでもないことだ!しっかり子どもに教えなければ」と思っていた先生は、ある小学生のメッセージに触れたとき、ハッとしました。「わたしは、わからないと答えました。なぜなら、わたしは死んだことがありません。死んだ人に聞いたこともありません。どうして、みんなは生き返らないとわかるのでしょうか」。
大人は、死という場を体験しているから「生き返らない」と知っています。死という場を体験していない子どもが、「わからない」と答えることは自然なことではないでしょうか。死体に触れたことがあるかを尋ねると、「ある」と答える小学生は5%、中学生でも20%未満という数字があります。「怖いから見なくていい」と答える都会に住む若いお母さんもいます。
死ぬことと生きることは、別々なことではありません。死を見つめることが、生きること、いのちを感じることになります。リアルな死を通じて、いのちには限りがある・いのちはかけがえがない・遺された人がたくさんの涙を流すことを見せてあげてほしいものです。子どもたちは、自分の中で、その死を意味づけてくれるのではないでしょうか。
お父さんを亡くした中学生のメッセージです。「お父さんが死んでから、命とか生きることを考えるようになりました。お父さんが生きていたときは、両親のことをよく考えていなかったと思います。でも今では、お母さんに優しくなれたと思います。それが、お父さんが死をかけて私に教えてくれたんだと思います。どんな命だって、一人のものじゃないですね」
人の死は、悲しく・つらく・涙します。しかし、その場こそが、いのちをみつめる深く尊い場ではないでしょうか。
命令するより、お願いしましょう
『軍隊の上官でもない限り、他人に対しては、
命令するよりもお願いした方が良い結果を生むでしょう。』
軍隊では、多くの時間を費やして、上官の命令に従うよう兵士を厳しく訓練します。命令に従うことは兵士にとって必要な要素なのです。
でも、毎日の生活においては、何事もそのようにはいきません。
ビジネス・政治・市民のリーダーたちは、一般の人たちがひときわ優れた仕事をするのは、命令された時ではなく、頼まれた時であることを知っています。
あなたが人を管理する立場にあるとしても、人に命令するのではなく、お願いすることによって、はるかに多くのことを達成できるでしょう。
「...してもらえませんか?」「...手伝ってくれませんか?」という言い方や、常に効果的な「お願いします」という言い方をすることで、人を威圧するよりもはるかに多くの成功が確実なものになります。
あなたの支配力が及ばない人たちの協力が必要な時にはなおさら、命令するよりもお願いする方が、はるかに良い反応を得られることでしょう。
「見つめる」「見つめない」
住宅街にサルが出没した話を聞いたことがあります。あなただったら、もし、目の前にサルがいたら、とっさにどうしますか?
「目を合わせる」という行為は、互いに「あなたに関心があります」ということを表していることになりますので、愛情を感じている場合は「好意」の表現となり、敵対している場合には「敵意」を表すものとなるのでしょう。住宅街をうろうろしているサルの場合、人間と目が合うと、当然のことながら「敵意」と解して、攻撃してくるということなのでしょうか。
サルのことはさておき、人間にとっても「目を合わせる」「見つめ合う」ということはコミュニケーションの始まりとして、とても大きな意味をもっています。
生まれてまもない赤ちゃんにじっと見つめられた経験をおもちのお母さまは多いと思います。そのときのことを思いだすと、感動がよみがえってくることでしょう。赤ちゃんは母親の目を見つめて、「あなたはだあれ」とたずねているのでしょうか?「私を見ていてちょうだい」と訴えているのでしょうか?それとも「何かお話ししてちょうだい」とお願いしているのでしょうか?赤ちゃんに見つめられると、思わず「なあに?」と笑顔で応じたくなりますね。
もう少し大きくなって、言葉が発達してくると、子どもはまっすぐに親を見つめ、大きく目を見開いて、お話ししてくるようになります。お父さま、お母さま、その瞳をしっかりと受けとめてあげてください。見つめ合って、子どもの言葉に耳を傾けるということだけで、子どもは親の愛情を感じ、大いに満足するのです。
でも、いつもいつも子どもを「見つめる」ことだけが、愛情表現というわけではありません。「見つめない」方がよい場合もあります。親にじっと見つめられることをうるさく感じることがあるからです。このあたりが親子関係の難しいところですね。時にはちょっと視線をずらして、見ていないふりをするのも「センスある子育て」ということになるのではないかと思います。
笑顔
子育てが忙しい時期には、動物映画はもちろんのこと、動物の生態を扱ったテレビの番組を視る余裕などないという方がほとんどかと思いますが、時には野生動物を撮影した番組をごらんになるのもよいのではないでしょうか。
といいますのも、動物は育児書などを参考にするわけでもないのに、なかなか上手に子育てしますし、「うちももう少し直接的に餌のとり方を教えた方がいいかしら」などと思う場面があったりして、心の中の「自然」に揺さぶりをかけられることがあるからです。
チンパンジーの行動を研究している研究者がチンパンジーの子育ての様子を撮影したDVDがありました。撮影されたチンパンジーは人間に飼われているチンパンジーではありますが、母親チンパンジーの子育てはとても大変そうです。
子どもは少し成長すると、探索し、冒険し、いろいろ試してみようとします。人間と同じように、チンパンジーの母親は遊んでいる子どもを見守ったり、危険なことをしたがる子どもを引っ張って連れ戻そうとしたりします。子どもの「危険」にはかなり敏感です。子どもチンパンジーは遊んでいるときや何かがうまくやれたとき、本当に嬉しそうな表情をみせます。飼育係に積み木を積む方法を教えてもらい、それがうまく積めて大喜びしている場面がありました。子どもは身体をゆすり、笑顔で大げさにはしゃいでいます。ところがカメラがこれを見つめる母親を映し出しますと、なんと母親はじっと座ったまま、全く無表情なのです。「子どもがあんなに喜んでいるのに、一緒に喜んでやらないの?」
「チンパンジーのおとなはめったなことでは笑わないんだ」と研究者は言います。でも人間の親は子どもが嬉しそうだと嬉しいし、子どもの笑顔をみると、どんなに疲れていても笑顔になってしまうものではないのでしょうか。親子で笑いあえるのは人間だけなのでしょうか。
「子どもの喜びをともに喜ぶ」「微笑みをかわす」ということは、ひょっとしたらものすごく「高等な」ことなのかもしれないと思いました。もっと笑顔で!(でもこれがなかなか難しいのです。)
親子の会話
親子の会話その1:
子ども 「ママ、あそこにすごくきれいなお花がさいている!キレイダネエ!」
親 「よそのおうちのお花なんだから、さわったらだめよ。
さっさと歩きなさい。」
親子の会話その2:
子ども 「みてみて!逆上がりできたよ!もう一度やってみるから、
みててね!」
親 「その鉄棒よごれているから、ほらもうお洋服よごれてしまったじゃ
ないの。」
親子の会話その3:
子ども 「漢字のテストで1コまちがえて、90点だった。」
親 「正確に、きっちり覚えないからまちがえるんでしょう。
今度は100点がとれるようにがんばって。」
自分が親ではなく、子どもの立場だったらどんなふうに親が返答してくれることを望むでしょうか?子どもが赤ちゃんだったころ、親たちはどのようなことばをかけておられたか、覚えておられますか?まだ自らことばを話せない子どもに、離乳食を食べさせながら「おいしいね」、おむつをかえながら「気持ちよくなったね」と子どもの気持ちを代弁しておられたことでしょう。「おもしろかったね」「こわかったね」など、赤ちゃんを育てているときって、子どもの気持ちを親がそのまま自然に口にすることができたと思います。
今は? いつまでもそんなわけにはいかない・・?
まあ、そうなのですが、親子なのですから、子どもがどう感じているかを敏感に感じ取って共感しあえたら、お互いにとても豊かなやりとりになるのではないでしょうか。「きれいね」とか「うれしいね」か、肯定的な事柄ばかりではなく、「悲しいね」「淋しいね」なんていうことばも、子どもが感じていると思えば、親がことばにしてあげてほしいものです。
というふうに考えると、上にあげた「親子の会話」の「その1からその3まで」の親のことばが、どんなに子どもの気持ちからズレているか、どんなに子どもをガッカリさせているか、ご理解いただけるのではないかと思います。
もちろん「これが正しい会話法」というものなどありません。親にこころのゆとりがあれば、自ずと気持ちを受け止める「ゆとりことば」になることでしょう。親も子どもとともに「きれいね」「うれしいね」「よかっ
たね」とたくさん言えるといいですね。
父親の役割、母親の役割
いろんな人とのかかわりが子どもの豊かな人格をつくるのです
男性にも女性にも備わっている「父性」と「母性」
働くお母さんが増えたこともあり、近年、お父さんの子育てに対する役割が注目されるようになってきました。親も子も週休二日制が浸透し、父親が子どもと接する時間が増えたことも関係しているでしょう。とはいえ、中には仕事が忙しく、子どもと話をする時間すらないお父さんもいます。またシングルマザーやシングルファーザーなど、家庭の形も多様化しています。だからこそ改めて、子どもたちにとって父親とは何か、母親とは何か、理解しておくべきではないかと思います。
一般に、父性原理は「切断する」機能、母性原理は「包含する」機能を主とすると言われています。つまり父性は、子どもの能力や個性を見抜いて、強いものをつくり上げて行く役割。母性は、何でも受け入れる役割。どちらも人間の成長にとって大切なものです。父親は父性、母親は母性と思われがちですが、女性にも父性、男性にも母性があり、一人の人間がどちらもあわせ持っています。子どもには父親と母親が必要と言うより、父性と母性が必要と言った方が適切かも知れません。父親でも母親でも、父性・母性の良い面を、場面に応じて引き出すことが大切です。
いろんな人とのかかわりや豊かな経験が子どもを育てる
誰もが母性と父性を備えているのですから、母子家庭でも父子家庭でも子育てに問題はありません。ただ一人では、どうしてもパワー不足になりがち。子育てに限らず、何事においても、一人より二人の方が負担は軽くなりますよね。「二人分の役割をこなさなくちゃ」と気を張るよりも、「一人でできるわけがない」と思って肩の力を抜いてみましょう。肉体面でも、一人ではどうしようもないことがあります。例えば、子どもが感じる感触です。子どもは女性に抱かれている時やわらかくフワフワしていると感じ、男性に抱かれている時かたくゴツゴツしていると感じます。フワフワもゴツゴツも、子どもの「豊かな経験」の一つ。もうひとつ言うなら、女性と男性とは遊び方も違います。お風呂に潜ってみたりするような、一見乱暴に見える男性の遊び方に、子どもが大喜びしている様子を見たことはありませんか。優しく接するのも、大胆に遊ぶのも、いろんな人とのかかわりで経験できるのです。
もちろん子どもにいろんな人とかかわらせてあげるには、親自身の人間関係が豊かでなければなりません。おじいちゃん、おばあちゃんと一緒に住んでいる、親のお友達がしょっちゅう出入りしている・・・など、どんな形でも構いません。親がいろんな人とかかわりを持つよう心がけてみましょう。それが、子どもの豊かな人間関係、豊かな人格形成につながるのです。
子どもが小学生で、仲の良いお友達がいるなら、そのお友達の家へ泊まりに行かせてあげてもいいかも知れません。よその家は、子どもにとってまさに異文化。食事の習慣やお風呂の入り方など、家によってみんな違うので、そんなことを体験することも大切です。お父さんがいない子も、お父さんのいる家を経験することができます。また幼児の場合は、地域の子育て支援サークルに通うのも方法です。自分だけでがんばらず、いろんな人の力を借りることを考えてください。
母親は父親の良い面を伝える、
父親は子どものために時間をとる
子どもに、いろんな人とのかかわりを持たせてあげる。これは、一人で子育てしている親だけのテーマではありません。お父さんが子どもと接する時間が少ない家庭も真剣に考えてみてください。というのは、お父さんが多忙で、専業主婦のお母さんが一人で子育てを担当している家庭では、子育てのストレスがたまりやすいといわれています。そのような家庭で母親が子どもに愚痴ばかりこぼしていると、子どもにとって「お父さんは悪い人」になってしまいます。まずは、お母さんが子どもにお父さんのことをポジティブに伝えてください。「お父さんは、こんな仕事をしているんだよ」とか、「お父さんが、こんなこと言ってたよ」とか、良い面を伝えることで、父親とのふれあいの少なさをカバーしましょう。そして家に閉じこもらず、いろんな人とおつきあいするよう心掛けてみましょう。趣味を広げるのもいいかも知れません。もちろんお父さんも、子どもと接する時間をとれるように努力してください。
子どもがつきあう相手を親の価値観で選ばない
家庭の形態や事情はともあれ、子育て中の親にとって大切なのは、子育てを自分だけの問題として抱え込まないことです。「自分は母性が強いか、父性が強いか」と、自分の個性を客観的に分析してみるのもおもしろいことでしょう。自分がどういうタイプなのか認識していれば、足りない部分を他の人にお願いしやすいですよね。両親、友達、近所の子ども、よく行く店のおばさん、子育て支援サークルの担当者など、いろんな年齢のいろんな人に助けてもらいましょう。
この時、注意したいのは親の好き嫌いを押しつけないこと。「あの親とは話が合わない」「あの先生は教え方がよくない」「あの子どもは行儀が悪い」など、親の価値観で子どもがつきあう相手やつきあい方を安易に判断しないでください。特に小学生になると、子どもは親の知らないところでも交友関係を結びます。いろいろな人とのつきあいにはプラスになるものがあると信じて、子どもとかかわっていきましょう。
親子の会話が大事
話すこと、聞いてもらうことは自信につながる
うれしかったことも悲しかったこともまず、子どもの話を聞く
携帯電話やメールなどの発達で、人と人のコミュニケーションが多く取れているように思える昨今ですが、本当にそうなのでしょうか。実際は、直接顔を合わせてお互いがしっかり話し、聞き合うような場が、少なくなってきているように思われます。親子の間ではどうでしょうか。子どもとよく話をしていると思われる人も、親から一方的に話しているだけではないか、子どもが自らたくさん話をしているかどうか、一度振り返ってみたいものです。特に気にかけておきたいのは、子どもとの会話の中に「友だちとケンカした」「テストの結果が良くなかった」「先生に叱られた」など、「つらかった」「悲しかった」「がっかりした」話がたくさん出てくるかどうか。そういった、子どもにしてみれば親に話しづらいような話が出てこないようなら、注意が必要かもしれません。子どもは親の前ではいい子でいたがる傾向がありますから、良い面だけを親に見せて、本当に困ったことがあっても相談せず、自分の中にため込んでいるかもしれないからです。
もし子どもがダメな自分を見せたなら、それは子どもの思いをゆっくり聞くチャンスです。話を聞きながら、子どもの立場に立って、その時の子どもの気持ちをじっくり考えてみましょう。そんな親の姿勢を感じると、子どもは「親に話して良かった」と思います。「話して良かった」経験がある子どもは親を信頼し、何でも話すようになるでしょう。逆に子どもががんばってダメな自分を見せた時に、頭ごなしに「どうして、そんなにダメなあなたなの」と言ってしまうと、「親に話をしてもムダだ。話さないほうが良かった」となりかねません。
子どもの「つらかったこと」や「悲しかったこと」に共感することは、親からの「ひどい思いをすることになったあなた。そんなあなたを愛しているよ」というメッセージにもなります。ダメなところも愛してくれる親になら、子どもはいろいろなことを話せるし、相談できます。そして、どんな時でも、子どもを認めて、受けとめる。それによって親子の信頼が深まるとともに、子どもの中に、「これでいいんだ」という自信が育まれていきます。
たくさん話をする経験が大人になってからも役に立つ
大人も子どもも、毎日の生活では、うれしいこと、楽しいことだけでなく、つらいこと、悲しいことやみじめに思ったりすることがあります。つらい、悲しいといった否定的なことは人に話しにくいものです。しかし、そうした否定的なことも含めて、自分のいろいろな思いをそのまま口にすることは大切な自己表現の一側面です。話すことで、あらためて自分がどう感じたのかがはっきりしますし、どう話せば相手にわかってもらえるかを考えるきっかけにもなります。子どもが話をしようとしているのは、自分を表現しようとしている時。その時は、あまりこちらから根ほり葉ほり質問したりせず、まずはじっくりと耳を傾けてみましょう。途中であれこれと口をはさむと、子どもの話す意欲を損ないかねません。
自分の話をしっかり聞いてもらう経験がたくさんあると、悩みや言いにくいことも、だんだんと上手に伝えることができるようになります。それにつれて、自分の中で気持ちの整理もできるようになっていきます。否定的なことを日々周りに話す経験をしていないと、耐えがたいほどつらいことがあった時でも、「かっこ悪いところを見せられない」「自分で何とかしなくちゃ」と一人でがんばってしまいがち。しばらくはがんばれても、抱え込んだまま、本当にどうにもできない状況になるとパンクしてしまいかねません。やはり日頃から、子どもが何でも話せる関係が大切だと思います。
一人でがんばらず誰かに話を聞いてもらうのは、親も同じ
子どもの話を聞いてあげようとがんばる前に、親自身は、誰かに自分の話を聞いてもらえているか、振り返ってみませんか。つらいこと、悲しいことに共感してくれる人の存在は、大人の私たちにも、とても大切です。でも、子育てや仕事が忙しくて、ゆっくり話もしていられない、という状況かも知れません。そんな時こそ、自分の中の否定的な感情を、誰かに共感してもらえたら気持ちが楽になりますよね。一人ぼっちにならないで、身近な人に話してみませんか。
誰かに話を聞いてもらって自分の気持ちにゆとりができれば、子どもの話も余裕を持って聞くことができるようになるかもしれません。
子供の意見を聞きましょう
言葉や行動の奥には子どもの本当の思いがあるのです。
子どもの意見をきくことは、子どもの言いなりになることではない
子どもの意見を聞くということを「子どもの意見に従う、言いなりになる」ことのように受け取る人がいます。子どもの意見を聞くことは、子どももいろんなことを感じている、考えているのだ、と親が気づくきっかけになると考えてください。子どもの言葉を聞くと共に、言外にある子どもの気持ちをくみとり尊重することが大切です。
子どもは自分の思いを整理して、話したり行動したりしているわけではありません。だから、親としては子どもの言葉のはしばしや行動から、その背景にある思いを理解しようとする姿勢が求められます。なぜそんなことを言うのか、そんな行動をするのか。理由がすぐにはわからないことも多いと思います。そんなとき、親は「こういうことかな」と推測する余裕を持ちたいものです。子どもの深いところにある気持ちに近づく努力をし、思いやる姿勢が重要なのです。
子どもの気持ちを察して、それに応える行動を
子どもの言葉や行動からその思いを推し量ったら、親はその気持ちに寄り添ってみることが大切です。「あなたの気持ちはわかる」ということを伝えるのも重要。その上で、「私はこうした方がいいと思うわ。なぜなら・・・」と親の意見を伝えます。そのコミュニケーションの中で、子どもは自分の気持ちを表現できるし、親の思いも知ることができます。
これは叱るときも同じです。例えば、子どもが小さい弟や妹をたたくという行動があっても、単に叱るのではなく、「どうしてそんなことをしたのだろう」と考える余裕を持っているならば、「親をとられたような思いがして、寂しかったのだろう」などと気持ちをくんであげることができます。そんなときには、抱きしめてあげてもいいし、「○○ちゃん、大好きだよ」と伝えてもいい。
子どもは敏感なので、親がどう思っているかをよく感じ取ります。親が自分を大事にしてくれていることを子どもがきちんと感じ取れれば、「してはいけない」という親の意見も受け入れられるようになります。
親もしっかり考えることが大切
子どもの意見を聞くという行動は、親子ともども「自分で」考える力をつけていくということでもあります。「自分はこう思う」というやりとりが互いにできた上で、一緒に考えることを通して子どもも親も共に育っていけるのではないでしょうか。
子どもがこうしたいと言ったら、その通りにしなければいけないと思い悩んでしまうのは、親自身が子育ての中で、はっきりとした判断基準を持てていないためではないかと思います。叱るのも、それをやめさせたいという判断基準があってのこと。どういう人間にそだてたいかを、たえず、しっかり考えることが大切だと思います。
子どもに意見を聞いて、それに合わせるのではなく、親も自分の気持ちや意見を必ず伝える。そうする中で、相互に理解し合うと共に、親としても子どもと共に成長していけるのです。
やりとりの中で、柔軟性をつちかう
子どもの意見に対して、親が常に一貫性のある判断をすることは難しいものです。親も人間ですから、その時々で子どもへの対応が変わることがあります。日々の子育てには、判断基準を持つことに加え、柔軟性もまた大切です。子どもとのやりとりの中で、子どもの主張がもっともだと思えることもあるでしょう。「なるほど、それなら今度からこういうふうにしようか・・・」と提案してみてもよいかもしれません。
子どもの気持ちや考えを聞きながら、柔軟性をつちかっていきたいものです。
評価ばかりを気にしない
親の思い 子どもの思い
評価の観点が違う
親はどうしてもやる気や意欲よりもどれだけできたかの到達度の方を重視し、何ができたか、何ができなかったか、といったことについつい目を向けてしまいがちです。子どもとどう向き合うか考えてみましょう。"達成"のところだけを注目するのではなく、子どもがどんなことに意欲を持って取り組んだかということに目を向けてあげてください。
子どもは親の思いに敏感
子どもは、親が自分のどこを見ているかに非常に敏感です。親が思っている以上に、親の期待に応えたいと思っているものなのです。親が喜んでくれるのは、何ができた時なのか。何かに一生懸命取り組んだ時?それともテストの点数がよかった時?友達に親切にした時?子どもは親が期待することを、親の言葉や態度から敏感に察知して、知らず知らずのうちに、親の望む方向に合わせるようになっていきます。
親がテストの点数に目を向けると、子どももテストの点数を一番気にします。親が意欲や積極性を大切にすれば、子どもは自分からすすんで取り組もう、と思うようになります。
「ここまで、できた」ことをまず認めよう
テストで子どもが90点をとったとします。親はどうしても相対的な見方をして、「クラスで100点は何人いたの?」「A君やB子ちゃんはどうだったの?」と聞いたりしがちです。他の多くの子が100点をとっていて、自分の子が90点では親は満足できないのかもしれませんね。
でも、そのテストで90点をとったということは、9割が正解なのですから、よくできています。子どもは「家に帰ったらきっとほめてもらえる」と、自信をもってテストを見せることでしょう。その時、「よくできたね」ときちんとほめてもらえると、子どもは「次も頑張ろう」と思います。反対に、ほめられるより先に「他の子はどうだったの?」と言われると、子どもは「まだ、だめなんだな」と思ってしまいます。この時の親の態度の違いが、子どもの自信の芽を育てるか否かにつながっていくのです。
子どもの自信の確立や自己意識は、まわりが自分をどうとらえているかが多分に影響します。その中でも「親」の存在は子どもには最も影響力が大きいものといえます。
ですから、テストや通知表などを持って帰った時には、できていないことを問題にして叱ったり、クラス全体や他の子どもたちと比較したりするのは、あまりいいとはいえません。たとえ、思ったほどよくない結果であっても、子どもが「できたこと」に注目して、しっかり認めてあげましょう。
親は、子どもの味方に
先生と親と子どもの三者の関係を考えてみましょう。先生は学校生活において、子どもを見ている人ですね。学校生活においてどこまで子どもに力をつけさせるか、基準が国によって定められています。この基準によって子どもを指導、評価するのが先生の立場です。
親の立場は、当然、先生とは違っているはずです。先生が子どもに対して指導する側にいるのなら、親はどちらかといえば、子どもの側に立ってあげてほしいのです。そこに親としての大きな役割があります。
例えば、先生に、「字が雑だからていねいに書こう」とアドバイスされて、子どもが少し気にしていたとします。親の立場としては、「でも、書くのが速いんだよね」とまず、いいところを見つけてあげる。それから、「お母さんだったらそんなに速く書けないよ。でも、ていねいに書くことも大事だよ」というふうにフォローしてあげることです。たとえ、先生に叱られたとしても、「ここのところがとてもいい」と親が認めてくれているということは、子どもにとって自信につながります。その自信があれば、「もっときれいに字を書こう」という意欲も生まれてきます。そんな三者の関係が大切なのです。
先生に叱られたことと全く同じ観点や理由で、親にも叱られると、子どもには身の置き場がありません。親としては、つねに「絶対にあなたの味方でいる」という姿勢でいるよう心がけてみましょう。
自分の力を発揮できるような環境づくりを
子どもは、まわりの評価によって自分を理解し、自分という人格を形成していきます。自分をつくっていくうえで、自己肯定感はとても大事な要素です。ですから、その過程では、否定的な評価をあちこちで受けすぎない方がいいと思います。
親がほめてばかりだと、子どもが自分を見失うことになるのではないかと、心配する方もいますが、その心配はあまりありません。
例えば、運動はとても得意でほめられるけど、勉強が苦手な子がいるとします。その子は、運動に自信を持っていますが、運動ができるからそれでいいとは考えていないのです。やっぱり、勉強ができないということは自分で感じています。なぜなら子どもたちは、友だちどうしで「何ちゃんは○○が得意だ」とか、「何ちゃんは○○があまり上手じゃない」などと気軽に言い合っています。ふだんから、一番シビアに評価する友だちの目にさらされているのです。ですから、親がほめても自分を見失うわけではありません。ほめることは、親が子どものいいところを理解していると、子どもに感じさせることなのです。
また、「運動はできても勉強ができないからダメ」と叱ることも、逆に、「運動ができるから運動選手になればいい。だから勉強しなくてもいい」と決めつけることも、よくありません。幼児期から成人になるまでは、人格形成の途中です。バランス良くいろいろな側面を伸ばしてあげてください。それが強く生き抜いていく力につながります。
『愛語』と言う言葉があります。不自然にほめることではなく、「よくわかるね」「あなたならきっと上手にできるわ!」など、優しく愛のある言葉は、その言葉をかけられた人の心をプラス方向に向ける力を持っています。大人でも、愛語をかけられるとうれしいものです。子どもなら、なおさらです。
明るく元気で、愛語をかけられやすい子どもがいる一方、愛語をかけられにくい子どももいることに目を向けましょう。まわりの人から、愛語をかけられて育っていく子どもは、持っている力を十分に発揮できるといいます。
環境の変化への子供の適応
ゆっくりでも、「子どものペース」が環境になじむ早道です
子どものタイプを見極める
習い事や引っ越しなど、子どもが何か新しいことにとりくみ始めたり、周りの環境が大きく変化したりすることがあります。そんな時は、どの子どもも緊張していると思います。周囲の大人からも「がんばろうね」などと言われたりするので、子ども自身も気を張っているのではないでしょうか。親としては、新しい環境になじめるのか、気になるところです。
子どもと接しながら、子どもが環境になじみやすいタイプか、なじみにくいタイプかを見極めることが大切です。そのためには、まず保育園や幼稚園など、これまでと異なる環境に初めて子どもが飛びこんだ時のことを思い出してみましょう。親となかなか離れなかったり、立ったまま動かなかったりしませんでしたか?幼稚園の先生から「周りの子どもと遊びません」「教室に入ってもじっとしています」などと言われたことはありませんか?幼児の頃から子どものタイプを知る目安になるエピソードはいろいろあると思います。
「環境になじむスピード」は、子どもによって異なります。どんな環境でも平気な子どももいれば、ゆっくり時間をかけてなじんでいく子どももいます。中には、熱を出したり、食欲がなくなったりと、環境になじめないストレスが体に出てくる子どももいます。環境への適応スピードは、個性のひとつ。タイプをわかってあげることから、子どもと向き合っていきましょう。
ゆっくり時間をかけて対応を
子どもが「環境になじむ」というのは、少し大ざっぱに言いますと、その環境の中で、集団行動ができる、友だちができる、そこの大人たちと話ができる、すすんで出かけて行くなどの状態。逆に、みんなと一緒に行動ができない、友だちができない、そこの大人たちと話ができない、行きたがらないなどが「環境になじめない」状態です。
環境になじみにくい子どもは、いわば不安の強い子ども。自分なりに行動を起こして、「大丈夫」と思えるまで、ある程度の時間が必要なのです。たとえ、わが子が環境になじみにくいタイプだとしても、決して子どもを急がせず、親自身もあせらないでください。親が「他の子と一緒じゃないと不安だ」と張りつめていると、その気持ちが子どもに伝わり、よけいに子どもの不安が大きくなります。「この子は、なじむのに他の子どもの何倍も時間がかかるけど、大丈夫」とゆったりかまえて、親自身がリラックスすることが大切です。
新しい環境で迎えてくれる方に「うちの子は、時間はかかりますが、きっとなじみますから」とお話ししておいて、子どもをバックアップしてあげるのも一つの方法です。親や先生といった大人から早くなじむようにせかされると、自信をなくして「自分はダメな子どもだ」と自分を否定的にとらえてしまう可能性があります。もしも子どもがなじめないようでも、「大丈夫だよ」と気持ちを受けとめてあげましょう。気持ちをわかってくれる大人がいることで、安心して新しい環境になじめるようになります。
弱点や欠点がだせるように
親が子どものタイプを理解する際に気をつけたいのは、ほんとうは環境になじみにくいのに、無理をして平気にふるまっているケースです。こういうタイプの子どもは、「親から認めてもらいたい」「まわりからほめてもらいたい」と、自分の力以上にがんばっています。優等生で、何でもきちんとできる子どもほど、期待に応えようと無理をしている場合が多いので、「がんばりすぎていないかどうか」気にかけてあげることが大事です。無理を続けていると、いつか疲れてしまいます。普段から「いい子」の面ばかりを親に見せようとする子どもは要注意ですので、弱点や欠点を少しでも見せた時は「いいよ、いいよ」と受けとめてあげてください。親自身も弱点をかくさず、パーフェクトな人間は存在しないことを教えてあげれば、弱い面を見せるようになるかもしれません。新しい環境では、「平気にふるまおう」とさらに緊張感が強くなりますので、子どもがラクになれるよう、「慣れればちゃんとできるから、無理しなくて大丈夫」と言ってあげましょう。
親として心がけたいこと
親と子どものタイプが異なると、子どもの気持ちや態度を理解するのがむずかしいものです。「自分はスポーツが得意なのに、子どもは運動オンチ。何でもっと速く走れないの!」といったケースです。環境への適応力でも同じこと。お母さんが適応力のあるタイプの場合、「どうしてすぐに慣れないの!」とイライラしがちです。何とかしてあげたい気持ちはわかりますが、子どもが親と同じタイプとは限りません。子どもの個性をきちんと認めてあげましょう。
時折、子どもをコントロールできると思いこんでいる親を見かけます。でも、子どもには、子どもの"スタイル"があります。環境になじむのに3ヶ月かかる子どもに、「3日で慣れなさい」と言っても不可能です。子どもは思い通りにコントロールできないものと心得て、がんばりを見守ってあげたいものです。
子どもの気持ちを知るには、表情や動きをよく見ることです。「言わないとわからないでしょ」と叱るのではなく、子どもの気持ちを表情や動きから察してあげるのです。「子どもにはこうあってほしい」という思いが強すぎると、子どもの表情や動きを見るゆとりがなくなります。親自身が子どもへの敏感性を高めることが大切です。
子供の失敗に直面したとき...
「できないこと」より「できること」をしっかり認めてあげましょう。
子どもたちの感じる「失敗感」
子どもは、大人が思っている以上にいろいろなことを感じています。ただそれを言葉で表現する力がまだ未熟なため、うまく表現できずにいるだけなのです。特に「自分が親や先生から何を求められているのか」については、とても敏感に感じています。ですから、「親や先生がここまでできる」と思っていることに応えられなかった時に、「期待に応えられなかったという思い」、つまり「失敗感」を感じます。例えば、小さなことですが、"授業で手をあげられなかった" "ピアノの発表会でうまくいかなかった" "鉄棒で失敗した"などです。
また、自分ではちゃんとしているつもりでも、親や先生に「ダメだ」「何やっているの」と言われたりすると、「自分は失敗したんだ」と思ってしまいます。少年野球などで、大事な場面で打てなかった時や、エラーしたことで監督に怒られたりした時、失敗だと感じます。チームプレーでは自分の失敗が、まわりにも迷惑をかけていることになるから、なおさら落ち込みます。
小学校高学年や中学生になれば、自分で要求水準を決定するようになりますが、低学年の間は、まわりの人の、自分に対する要求水準が失敗感の基準であることも多いのです。それだけに親やまわりの対応がとても大切になります。
子どもに持たせたい「肯定的な自己感」
一回一回の失敗は、大人からみると、とるにたらないようなことでも、子どもにとって決して小さなことではありません。しかし、子どもは自分で回復する力を持っています。
回復のカギを握るのは、「自分はどういう人間なのか」を考える「自己観」です。「自分はいいところを持っている」「自分が大好き」というように自分に対して肯定的な自己観があれば、失敗しても「また頑張ろう」「次はできるかもしれない」と、自分で立ち直ることができるのです。
では、自己観はどうやって作られていくのでしょうか。それは、まわりの大人や友だちとの関わりのなかで形成されていく一面があります。子どもは仲間同士では、「○○ちゃんは何々が上手」とか「○○くんは下手だからやらなくていい」など、相手やまわりの優劣について、遠慮しないで口にします。そんなやりとりの中で、自分自身の得意・不得意を自覚しながら、自分に対する見極めができていきます。
そんな時に、親からも否定されたと感じると、「自分はダメなんだ」と自己観は否定的になってしまいます。学校や外で友だちにシビアな評価を下されているのですから、家庭では親がしっかり、子どもの味方になってあげることが大切です。
低学年の間は、「あなたはこれが上手」「あなたはとても素敵」ということを言葉ではっきり伝えて、肯定的な自己観が持てるようにしてあげてください。
親が気持ちを切り替えて余裕を持つこと
子どもが失敗して落ち込んでいる時に、とってつけたように励ましても回復にはつながりません。励まそうとして、その時だけ、ふだんと全く違う態度をとっても、子どもには伝わらないからです。では、どうすれば、子どもが自分で失敗を乗り越えられるのでしょうか。
子どもは、親の価値観の影響を大きく受けています。「スポーツのできる子どもに」という親と、「たくさん本を読んでほしい」と思っている親では価値観が違うため、それぞれの子どもの価値観も異なってきます。
例えば、スポーツに力を入れている家庭で、子どもがスポーツで失敗して落ち込んでいると、親の方も子どもと同じような価値観を持っていますから、親も子どもの失敗を見て落胆することになります。しかし、一緒に落ち込まれると、子どもは「自分のせいで親をがっかりさせてしまった」と思い、よけいにつらくなってしまいます。
こんなときこそ、親が気持ちを切り替えて、「今回はダメだったけど、キミならできる」「これはできなくても、他にできることがいっぱいある」と、余裕をもった対応をすることです。親が、そんなふうにいうだけで子どもは安心します。そして、「そうだ、自分にはこれがある」と、気持ちを回復することができることでしょう。
思ったほどよくない結果であっても、子どもが「できたこと」に注目して、しっかり認めてあげましょう。
察して受け止める。それが、親や家庭の役目
子どもが学校から帰ってきて何となく落ち込んでいる。そんな時、どのように対応してあげますか?「どうしたの?」と尋ねる過程で、子どもを叱ったり、傷つけたりすることはないでしょうか。そうしたことが度重なると、子どもの気持ちは親から離れていきます。親がどんな言い方をしても「この人は自分の味方なんだ」と子どもが思えることが大切だと思います。
「子どもは4歳ごろから秘密を持つ」といわれていますから、親は子どもが外で体験したすべてを把握することはできません。「何かあったんだろうな」と気づいた時は「元気ないね」と一言いうだけでよい場合もあります。
外で一生懸命頑張ってきて、帰ってきた時に温かく受けとめてもらえるのが家庭です。これは大人も子どもも変わりありません。家に帰ったら、自分のありのままを認めてもらえて、ほっとできる、帰ってきてよかった・・・。そういう家庭で育つ子は、失敗があっても自分で立ち直る力をつけていきます。
親だからこそ見つけられる子どものよいところ
学校の先生からは「漢字ができない」「計算ができない」と、しょっちゅう叱られている子どもでも、友だちと上手に遊べるようでしたら、親としては「仲良く友だちと遊べること」をほめてあげてください。
「キミはやさしくて性格がいいから友だちに好かれるんだね」「キミは将来、絶対に幸せになるよ」といわれて成長すると、きっと本当に幸せな人生を送ることになるでしょう。
いずれにしても、子どもが失敗に直面した時こそ、親の「大いなる愛のまなざし」が必要な時であることは、いうまでもないことです。
思春期の子供に対して...
信頼して見守り、自立をサポートしましょう
心と身体の成長がアンバランスな思春期
子供が小学校高学年になると、「以前は学校のことをよく話してくれたのに、最近はあまり話をしてくれない」「仲良しだったお友だちと急に遊ばなくなって、訳を聞いても教えてくれない」「子どもの部屋が汚いので片付けたら、反抗的な態度をとるようになった」といったことが、よく聞かれます。これは、子供が"思春期"に入り、小学校低学年の頃とは変わってきていることのシグナルです。しかし、親は子供のこうした変化(成長)に気づかないことが多いようです。
思春期は、"子供から大人への過渡期"であり、心と身体の成長がアンバランスで、とても揺らいでいる時期です。そして、急激な身体の変化に戸惑いながら、精神的な不安と葛藤の中にいます。
友だちとの関係も変化していきます。低学年の頃は帰り道が一緒、席が近いなど身近であれば仲良くしますが、高学年になると自分と感性の合う、内面的に分かり合える友だちを求めるようになってきます。
また、親子の関係も、親が保護し、子供が依存するといった親と子の関係から、個々の人間同士の関係に発展していきます。そのことを親も自覚する必要があるでしょう。
思春期は親離れの第一歩です
小学校高学年の頃になると、子供たちは外の世界や周りを見て、いろいろなことの見方が変わったり、友だちや先生との関係が広がっていきます。友だちの親や家族はどうか、社会はどうかといったことにも目をむけるようになるのです。自分の親や家族のあり方などに疑問を抱き、さまざまな質問をしてきたり、自分の意見も述べるようになります。
親に対する見方もずいぶんと変わってきます。それまで絶対的な存在で、信頼しきっていた状態から、親を一人の人間として見るようになり、それとともに、「うるさいなぁ」「放っておいて」など、反抗的な言葉を使うようにもなってきます。
こうして思春期を迎えた子供たちは少しずつ親離れをしていきます。親に干渉されるのがうっとうしくなる反面、全く無視されても不安を感じます。そうして、親とくっついたり離れたりしながら成長していきます。
秘密を持ち始めるのも親離れのひとつ
福井県の丸岡町が主催した一筆啓上賞『日本一短い「母」への手紙』の受賞作品に、11歳の男の子の「お母さん、ぼくの机のひき出しの中にできた湖をのぞかないで下さい」という作品があります。この作品には、思春期の子供の心理が見事に描かれていると思います。
このくらいの年齢になると、好きな人ができたり、性に興味を抱くようになり、友だちには話せても親には話せないことや自分だけの秘密を持つようになります。『机の引き出しの中にできた湖をのぞかないで下さい』という文章は、そっと見守ってほしいといった思いがこめられているようにも思えます。
子供が秘密を持つのは、それだけ人間性を深め、深い心の持ちようを経験していくということです。その点からいうと、何でも親に見せて秘密を持たないので安心というわけではないのです。
最近、何でも言い合える「友だち親子」が増えているといわれますが、子供が秘密にしたがっていることについて、「何でも見せて」などと気軽に言わない方がよいかもしれません。親には親の、子供には子供の世界があり、世代の境界や育てる側・育てられる側という境界があります。そのけじめを崩してしまうと、親子の関係そのものが崩れてしまうこともあるのです。
子供の気持ちを受容しましょう
子供のことで知らないことがあったり、反抗されることは、親にとってはとてもさびしいし、不安なもの。でも、この時期、親も子供は子供の人生を歩んでいくのだという覚悟をしなければいけないのでしょうね。
もちろん、思春期でも、子供は嫌なことがあった時などは、やはり親に話したいと思っています。そんな時、頭ごなしに叱られたり、親の意見を押しつけられたりすると、子供の気持ちはどうでしょうか。まずは、子供がどんなことを言ってもできるだけ子供の気持ちや考えを尊重し、上手に聞いてあげる親であることが大切でしょう。
そして、理由もわからないまま不安になっている子供に対して、「どんな状態になっても、私は絶対にあなたを見捨てない、大事に守るよ」という姿勢をしっかりと親が示してあげてください。
子供が自分で責任をもてるようサポートしましょう
思春期とは自我が確立し始め、主体性が培われる時期でもあります。それまでは親が子供のいろいろなことを決めてきたかもしれません。しかし、この頃から親の方でも努めて「あなたが考えて選んでごらんなさい」というメッセージを伝えていくのがよいように思います。子供はどこかで親に嫌われたくない、と思っています。だから、「お父さんやお母さんが喜ぶだろうと思ってそう決めた」ということもあるかもしれません。そんな時でも「親と意見が違っても大丈夫」ということをしっかり伝えることは大切でしょう。
そして、親が介入しすぎることなく、いつも子供が「最終的には自分が考えて決めた」と思えるようにして支えてあげましょう。
「少しずつ、自分で責任を持って行動していこう」「親はいつも温かく支えてくれている」そのように思えることが、自立した大人になるためにはとても大切なことのようです。
子供の思春期は、親子ともども大きく成長するチャンスでもあります。この絶好の機会を前向きに受けとめ、子供の成長をゆったりと見守っていってほしいと思います。
子供を比較しないで!
子供は人格形成中
─比較されることで深く傷つきます─
子どもを他の子と比較しないように、とはよく言われることです。なぜ比較するといけないのでしょうか。
幼児から小学校入学の頃は人格の基礎が形成される途上にあります。「人格の形成」というのは、「あなたはこんな人ですね」という周りの言葉や行動を通して「自分はどういう人間か」ということを自分で理解していく一面も大切です。自分で自分のことがよくわかっていないこの時期は、子どもは不安がいっぱいの状態。「自分はどういう人か、自分の存在は認められているのか」を、何回も確かめずにはいられません。幼いときは親以外の人と接することがまだまだ少ないので、親の言葉が最大の、そして唯一の支えなのです。その時に、親から他の人と比較されて叱られたりすると、その不安が助長されてしまいます。人格の形成にも大きな影響を与えるのです。
この時期は特に、子どもに対する言葉や、逆に子どもたちからの言葉に深く注意を払っていくことが大事です。親自身は何気なく言ったことや後で忘れてしまっているようなことでも、子どもの心にはしっかり刻まれていることがあります。
比較して叱られると、子供は
「自分自身を否定された」と受け止めてしまいます
親の立場からすると、きょうだいやよその子どもたちとつい比べてしまいがちです。次の2つの叱り方を考えてみてください。
a 「外から帰ってきたら手を洗わないとダメでしょ」
b 「お兄ちゃんはちゃんと手を洗うのに、あなたはどうしてできないの」
どうでしょうか。比較しない時(a)は行動そのものがポイントになっています。比較した場合(b)は行動そのものよりも「お兄ちゃんはできるのに、あなたはできないダメな人」というメッセージが感じられませんか。
親はそんなつもりではなくても、子どもは比較のところしか受け止められず、自分自身を否定されたと思ってしまいます。「自分はこれでいいのだ」という自分への信頼を形成していく段階では、子どもたちが傷つくことになりかねません。親の言葉や行動のひとつひとつが子どもの気持ちに決定的な意味を与えてしまうことにもなるのです。
直接の比較でなくても、子供にとっては
比較されているのと同じ意味をもつことがあります
子どもはほめることが大事と言われるのも、親の影響力がとても大きいからです。ほめすぎると、図に乗ってしまうのではと思われるかもしれませんが、そんなことはありません。一番大事な親から認められていると感じることで、安心して自分に自信を持つことができるのです。
ただし、ほめる時に気をつけないといけないことがあります。それは、きょうだいがいるときに、片方だけをほめることです。ついしてしまいがちなことですが、これも比較したことになります。ほめられなかった方にすれば、「じゃあ、僕はダメなの?」と感じるからです。「お兄ちゃん、上手だねえ」と言うと、弟が「僕は?僕は?」というご経験もおありだと思います。そんな時は「あなたはここがすごいね」としっかりほめてあげてください。
親が子どもを、自分自身と比較していることもあります。「私はこんな性格なのに、この子はそうではなくて...」「私が子どもの頃は、こんなことはできていた」などと言われる方がいらっしゃいます。これも、子どもにとってはありのままの自分を受け入れてもらえず、自分を否定された、と感じることにつながります。
子供のなにげない質問にも、実は深い意味があります
下の子が赤ちゃんだったり、よその赤ちゃんを見たりした時、「私が赤ちゃんの時どうだった?」など聞いてくることがあります。そんなときは、「この子と同じで可愛かったよ。○○ちゃん、本当に大きくなったね」「あの時はおしゃべりできなかったけど、今はよくしゃべれるようになったね。いっしょにお話できて、うれしいな」などとやさしく答えてあげてください。
こういった何気なく聞こえる会話でも、子どもとのいい関係をつくる絶好のチャンスです。こういう質問をするのも親から愛されたいという気持ちの現れであり、親が自分をどれだけ大事にしていたかを確認したいのです。その時、子どもの質問を流してしまうと、なかなか満足せずにくい下がります。
子どもを他人と比べるのではなく、小さかったときのことを思い出していろいろお話してあげましょう。「赤ちゃんのときからずっとあなたを見ている」ということ、そして「あなたが成長していることがうれしい」ということが伝えられれば、子どもたちは今の自分に満足することができ、とても安心します。
子どもが何かした時に「お母さん、見て、見て」と呼びかけてきます。これも、親の愛情を確認したいという気持ちのあらわれです。親としてはいつものことなので、他のことに手を取られていたりすると、つい上の空で返事をしたり、うるさがったりしてしまうことがあります。またか、と思っても、子どもが何か声をかけてくる時はできる限り聞いてあげてください。それが子どもとのよりよい関係づくりの基本と言えるかもしれません。
「ボクはボク!」「私は私!」と子供は心の中で
いつも主張しています
人格の基礎を形成する時期、子どもたちはみんな「ボクはボク!」であることを認めてほしいと思っています。なにより大切なのは「そのままのあなたを、周りのみんなが認めているのよ」といろいろな機会に伝えることです。子どもの人格形成において、親の役目は意識している以上に大きいものです。
気を付けてほしい「子供のしかり方」
叱る前に一呼吸おいて「子どもの気持ち」を考えてみましょう
しかられたときの記憶が、大人になってからも大きな影響力をもつことがあります
非常に印象に残っている過去の場面として、叱られた時の話がよく出てきます。本人もずっと忘れていて、成長してから何かのタイミングで思い出すこともあるようです。親の方はおそらく忘れてしまっているであろうエピソードを子どもの側では鮮明に覚えていて、実は小さい時の記憶が心の奥にずっと残っているとわかります。
小さい時から親が恐かったと話す人に、どう恐かったの?と聞いても、うまく話せません。どんな時に恐かった?と聞くと、たとえば学校の成績が悪くて叱られた時、と言うそうです。親に「どうしてこんな成績をとるの?」と言われても、子ども本人はわかりません。普通にしていても、成績が悪い時というのはよくあることです。子どもが黙っていると、親は感情がエスカレートし、一方的に子どもにぶつけてしまいます。こうなると子どもはますますおそろしくなり、自分の気持ちを話せなくなってしまいます。
子どもは、小さい時ほど、うまく自分の気持ちを言語化できないものです。「どうしてこんなことするの!」と怒られても、本人もわからない。何か言いたくても、うまく言えず黙ってしまう。子どもは追い詰められます。その時は、何が起こっているのか、大人がなぜそんなに怒るのかわからず、ただすごい形相の親を前にして、恐怖心だけが残ります。
行為を受容するのではなく、「気持ち」を受容してあげましょう
受容してあげるというと、叱っちゃダメなの?と思う人がいます。悪いことをしたら、行為は叱っていいのです。ただ、どうしてそうしたのか、それをした後どう思っているのか、親として思い返す態度が大切です。あらゆる行為は、何かそうしたくなる気持ちが子どもにあってのことです。例えば、モノを壊してしまった時でも、もしかすると別のモノをかばおうとして壊してしまったのかもしれません。下の子をいじめるのだって、自分に関心を向けたいからかもしれません。ただ、「どうしてそんなことをしたの?」と聞かれても、子どもは正確には答えられない、ということを踏まえておく必要があります。子どもがその時どう感じているか、そこに思いをはせることができれば、親も無茶な怒り方にはなりません。
とはいっても、後からふり返って気づくことはあっても、叱っている最中に子どもの気持ちのことまで考えるのはなかなか難しいものです。
むしろ、日常の会話の中で子どもの声に耳を傾けるようにすると、子どもは思いもかけない感性や親へのいたわりの気持ちをみせてくれます。
「子育ては自分育て」とよく言いますが、子どもに育てられる部分が大きいと思います。自分も子どもに育ててもらう、くらいの気持ちで、ゆったりと楽しみましょう。
テレビの見過ぎが原因...
成人後のファーストフード好みは10代のテレビの見過ぎが原因
1日5時間以上テレビ(TV)を見ている10代の若者は、成人後にファーストフード嗜好(しこう)になりやすいとの研究結果が報告されました。
中学生564人と高校生1,366人のデータを収集。1日あたりのTV視聴時間と5年後の食生活を検討したそうです。その結果、1日5時間以上TVを見ていた高校生は、5年後、果物や野菜、全粒穀物、カルシウムの豊富な食品はあまり摂らず、スナックや揚げ物、甘味飲料、トランス脂肪酸を含む食品を多く摂取していました。
「ファーストフードレストラン、スナックやその他の不健康な食品のコマーシャル(CM)を見る時間が長すぎることが関与している。TVを見ながらの食事は、CMで見る食品を摂取する可能性を高める。子どもの食生活を健康的にするには、親がTVを見る時間を制限し、健康的な食習慣を身につけさせることが必要。TVは1日2時間以内にすべきである」という意見もあります。
今回の研究で、TVの見過ぎ、特に食品CMの見過ぎは子どもの食事に影響を及ぼすことが判明しました。また、TVを見る時間が長い思春期の若者の1日のカロリー摂取量は、適度な時間しか見ない若者に比べて、約200カロリー多いことが示唆されたそうです。
子どもも親もTVの前に座って過ごす時間を減らす努力をすべきことを示す明らかな証拠です。研究からは、ジャンクフードのCMと"カウチポテト(四六時中TVの前に座り間食すること)"的ライフスタイルのどちらが、あるいは両方が悪い食生活の原因となっているのかは明らかではありません。いずれにせよ、食事中はTVを見ないなど家庭内でのルールづくりが必要であるようです。