寺子屋


江戸時代の人々は寺子屋で読み・書き(時にそろばん)を学んでいました。寺子屋では子どもたちはどのように学んでいたのでしょうか。

朝、子どもは寺子屋に行くと、まず自分の机を並べます。師匠が自宅で寺子屋を開いていることが多いので、学習が終わると子どもたちは机を片付けて、師匠が生活できるようにしてから帰るのです。寺子屋では学校で行われるような「授業」はありません。子どもは師匠がその子に合わせて選び、書いてくれたお手本を何度も練習して覚えます。当時は紙が大変貴重品でしたから、子どもは筆で文字を書いては紙を乾かし、またその上から文字を書くということをしていて、練習帳(これを「手習草紙」【てならいそうし】といいます)は真っ黒になっていました。

ちなみに勉強をしたくない子は、持っている練習帳を全てわざと水で濡らして「もう勉強できません」などと言う子もいたそうです。また「いきは牛 帰りは馬の 手習子」という川柳も残っています。「手習子」というのは寺子屋に通う子どものことですが、寺子屋に行くのはいやなので牛のようにゆっくりと歩いていき、終わると大喜びで走って帰ってくるという子どもの様子が目に浮かぶようです。そんな子どもたちを相手にしていた寺子屋師匠の日記というものも残っているのですが、そこからはやる気のない子どもに忍耐強く対応をする師匠の姿が浮かび上がってきます。

この子どもと大人のやりとりは、今も昔も変わりませんね。

「寺子屋」は当時「手習所」などと呼ばれていたそうですが、この「手習」というのは文字の読み書きを学ぶことを言います。しかし寺子屋で学んだのは文字の読み書きにとどまらず、お手本や教科書の内容から、子どもたちは生活に必要な知識や家業に必要な知識、そして道徳的な心構えなども学んでいたのです。

江戸時代の日本の識字率(文字を読むことができる人の割合)は、世界でも飛びぬけて高かったことが知られています。例えば日本がまだ江戸時代であった19世紀初頭、産業革命真っ只中のイギリス、ロンドンの識字率は20%ほど。それに対して日本は江戸の識字率は70~80%ほどはあったと言われていますので、いかに日本が優れた教育文化を持っていたかがよくわかります。

今の日本では学校に通うことや文字が読めることは当たり前になっていて、「学ぶ」という意味が見えづらくなっているように思います。そんな時、江戸時代の「学びの文化」というものを見直してみることは、大変有意義なことだと思います。

 

 

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日時:2009年3月19日 19:25

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