ある学童クラブでの子供たちの変化
語り手から見た子供たちの変化
二十数年前から、幾つかの学童クラブへ、月に一回の割でお話を語りに行っている。各クラブには一年生から三年生まで、30~40名の児童が在籍している。
彼らが学校から帰って一息入れた頃(大方は三時半)私たちが到着すると、外で遊びたい子、何か他の事をしたい子等あって、いつも全員が喜んで迎えてくれるわけではないけれど、初期の頃には、
走りよって来ていろいろと話しかけて来る子が多かった。手に飛びついたり、肩に抱きついたりと、スキンシップを求めているかのような子も目立った。
いかにも一年生らしい微笑ましい悩みを真剣な様子で訴える子、大事な秘密を教えてあげるというように、将来の夢を打ち明けてくれる子、かと思うとまだ三年生なのにそんなに深刻な問題を・・・と、返す言葉につまってしまうような心配事を相談して来る子。彼らは、自分たちの持っている言葉を一生懸命探り出し、繋ぎ合わせて、なんとか気持ちを伝えようとがんばってくれた。私たちは、お話を語ること以外にも、そんな彼らの求めに応じて、できる限り話し相手になったりした。そうした会話の端々に、彼らの家庭での様子を彷彿とさせるものがあって、微笑ましかったし私たちとのコミュニケーションも深まっていった。こんな風に信頼関係ができていくと、お話を聞いてもらえることにもつながって、想像以上に楽しい「おはなしの世界」を共有することができた。
しかしここ数年、子どもたちから極端に言葉が少なくなったように思う。私たちに対して特によそよそしいわけではないけれど、お友だちとの間でも、黙って向かい合ってマンガを読んでいるとか、一人がしているゲームを両脇から覗き込んでいる等の姿が目につくようになった。児童館の中にあるクラブなどでは、クラブ室から児童館の部屋に移って、何人かがかたまって各々がゲーム機を手にして、無言でゲームに熱中していたりする。担当の職員らと話していても、こちらのいうことがなかなかストレートに伝わり難く、少し強くいうと「キレル」状態になってしまう子も、多いという。私たちと彼らとの会話も当然少なくなったので、今では彼らの家庭の様子を想像することは難しくなった。
それは特に必要ないことのようだけれど、幼い人たちに「お話」を語る者にとって、「今、彼らの心の中がどうなっているのか」、あるいは「家庭でどんなことが話題になっているのか」が、ある程度解らないと「お話」を選ぶことが難しい。「家族個食」などという言葉があるらしいけれど、家族が揃って食卓を囲み、一日の出来事を楽しく語り合うということが、少なくなっているのではないだろうか。
親が、大人が幼い人たちに言葉をかけてやらなければ、彼らは言葉を獲得していくことができない。語彙がとても少なくなって、自分の気持ちを表現することができないもどかしさが、「キレル」という状態につながっていく気がしてならない。
昔話はじめ物語の世界には、豊かな言葉がいっぱい。でもそれを語るなり読むなりして理解してもらうためには、日頃から彼らの心を育てるような「言葉かけ」を、きちんとしておかなければならないのではないだろうか。
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